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ヒーロー映画がヒーローを放棄した日『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」に次ぐ対決もの映画第2弾。
この先ネタバレあります。
 

 

 

アベンジャーズ、本気で分裂。最後まで共闘しない!

 「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」に次ぐ対決もの映画第2弾。ちなみに第3弾は白石晃士監督最新作「貞子vs伽椰子」である。
 日本では毎年のように仮面ライダーや戦隊が対決しまくっているが、これは対決もの映画でよくある「途中で仲直りして黒幕と共闘」というお約束の展開にはならない。
 チタウリの侵略、ハルクの暴走、ウルトロンの襲撃などに対処していたアベンジャーズは、戦いで世界各地に甚大な被害をもたらし、多数の犠牲者を出していた。
 この事態を重く見た国連はアベンジャーズを国連の管理下に置き、出撃には国連の承認が必要となる「ソコヴィア協定」を提案する。
 しかし、ウルトロンを産みだしてしまった自責の念に駆られるアイアンマンとS.H.I.E.L.D.という国家権力に裏切られたキャプテン・アメリカはソコヴィア協定への賛否を巡り対立する。
 そして、協定調印の場がテロに逢い、キャプテン・アメリカの親友であるウィンターソルジャーが実行犯として指名手配される。
 ウィンターソルジャーの無実を信じるキャプテン・アメリカはウィンターソルジャーを逃がし、テロにより父親を亡くし復讐鬼と化したワカンダの陛下・ブラックパンサーと交戦。
 このことは協定に触れ、アベンジャーズは協定を破ってウィンターソルジャーを救出するキャプテン・アメリカ派と、ウィンターソルジャーとキャプテン・アメリカを捕えようとするアイアンマン派に分かれ交戦する。
 普通のヒーロー映画だったら、共通の敵が出てきて共闘する流れになるが、これは普通のヒーロー映画じゃないのでそうならない。
 「第三者の管理を入れるべきだ」「誰かに自分の行動を決められたくない」「過去の親友を助けたい」「現代の友人を大切にしたい」という究極の選択の中において、あらゆる登場人物が己の信奉する正義をかけて戦う混迷とした内容である。
 明確な答えの出ない2択を、登場人物がどう決断していくのかが見所となっており、勧善懲悪路線を突っ走っていたMCU作品の中では珍しく善悪の枠組み・そしてヒーローのあり方そのものが著しく揺るがされていくこととなる。
 前作でオタクを魅了したジェットコースターのようなハイスピードアクションシーンはパワーアップし、冒頭のクロスボーンズ戦からハイライトとなる空港戦、シベリアでの最終決戦まで並みの映画が単品で売りにしてきそうなものを最初から最後まで盛り込んでくる豪華ぶり。
 BVSのドラゴンボールバトルとは趣は違ってものすごく金のかかった仮面ライダーのような感じだが、どちらも甲乙つけがたい。
 このドタバタ超絶バトルが、ストーリーのとてつもない重さを軽減して見やすくしている。
 

ガメラ3がアメリカでパワーアップして帰ってきた

 ヒーローものの宿業として付き纏うのは、「破壊した街を誰が直すのか」という問題である。
 ヒーローはその強大な力を振るって悪と立ち向かうが、強大がゆえに周囲に被害を及ぼしてしまう。悪役は破壊の責任なんてとれないし、ヒーローは破壊のことなんて微塵も考えていない悪役相手に全力で戦わなければならない。
 それに、ビルを壊さずちまちま戦うヒーローものは観客から要求されていない。
ウルトラマンが怪獣と戦うときに踏みつぶされているビルは誰が責任をとっているのか」というアレである。
 特撮では無視されがちなこの問題を取り上げた作品としては「ガメラ3」が有名だ。
 BVSもこの「G3問題」をやろうとしていたがなんかいつの間にか有耶無耶になっていた。
 でも、本作は違う。G3問題は多少ボヤケるものの、物語の軸に据えられている。
 本作では「王道ヒーロー映画」のスタイルをとっていたアベンジャーズAOUでの戦闘の被害が問題として提起されるが、これは「王道ヒーロー映画」であったガメラ2でレギオンの撃退をヒロイックに描いておきながら、それが実は多大な代償を支払っていたことが明らかになるG3と共通している。
 さらに、ラスボスであるヘルムート・ジモの正体は、家族をAOUの戦闘で亡くした軍人で、家族を殺したアベンジャーズに復讐を遂げるため暗躍している。
 いわばヘルムート・ジモは「派手に暴れれば被害が出る」というヒーローの影の部分から生まれ落ちた存在で、ガメラとギャオスの戦闘に巻き込まれ殺された家族の復讐を誓ってイリスを育てる綾奈に近い。
 BVSよりはガメラ3との共通点が多い本作だが、ヒーロー映画として特殊な部分はこの他にもある。
 ガメラ3は結局「ガメラはヒーローである」というところに回帰したが、シビルウォーは「アベンジャーズはヒーローではない」という方向に持って行こうとしているのだ。
 

英雄の再定義と「手を取り合って」

 本作は、アメコミ映画でありながら、身を粉にして他人を守護するヒーロー性を揺るがしていく。
 アメコミ映画でこのような揺るがしがあったものといえば、他に「ダークナイト」や「キック・アス」などがある。
 ノーランバットマンキャプテン・アメリカはジョーカーやジモの暗躍によって、価値観を揺るがされ、自身のあり方を再定義していくこととなる。
 ノーランバットマンはジョーカーによって、正義と悪は容易く変化するものであると知ってしまう。
 キャプテン・アメリカヒドラやウルトロンといった目に見える悪が消えたアメリカ社会の中ではかつてのアメリカン・スピリッツを押し通すことは困難であることを実感する。
 「ウィンターソルジャー」では、所属機関だったS.H.I.E.L.D.との対立を描いておきながら、結局全部ヒドラのせいにしていたのが不満だった。ところが、シビル・ウォーにはそういうわかりやすい悪の組織はなく、力を振るう先は混迷の中で選び取らなければならない。
 ちなみに本作のキャップは反権力のアウトローとしての側面が強く描かれている。WSで国家権力に裏切られた経験がそうしているが、世界よりもごく個人的な関係を選び、英雄のシンボルとして尊敬される存在から、刑務所を襲撃する犯罪者になる。
 終盤で、ジモがキャップの瞳を「くすんだ色」と評したのは、もうここでキャップが「高潔なヒーローである」ことを放棄してしまったからであり、その後キャップは刑務所を襲って捕えられていたアベンジャーズを逃がし、ワカンダへ亡命する。
 このあたりはあえてトゥーフェイスの汚名を被って表向きは警察と対立することになる「ダークナイト」のラストに似ている。
 ノーランバットマンもキャップもヒーローであること自体は放棄していない。
 周囲の称賛よりも、自分の正しいと思ったことを貫徹することを決意しているだけで、DKRではノーランバットマンゴッサムから再び受け入れられる。インフィニティ・ウォーがあるから、おそらくはキャップもそうなるのだろう。
 
 

BVSとの比較

シビルウォーのライバルであるBVSとは、同じ「ガメラ3問題」を取り扱いながらも、対称的な映画となっている。
・親がきっかけで他者に歩み寄るバットマン、他者を拒絶するアイアンマン
・BVSがG3問題をバットマンに背負わせていた一方、CWは具現たるバロン・ジモを中心に据えている。
・個人が英雄になるBVS,英雄が個人になるシビルウォー。
 BVSのバーサーカーバットマンとアイアンマンはどこまで意識したか分からないが、かなり似通っている。パワードスーツを着ていたり、社長だったりと元々似ているキャラなのだが、両方とも精神不安定設定が前面に押し出されているのが興味深い。映画の作り方からしてMCUを意識しまくっているDCEUなので、「今度のバットマンはアイアンマンみたいにしてよ」というオーダーがあったかもしれないが。
 しかし、バーサーカーバットマンとアイアンマンは表裏一体で、バーサーカーバットマンドゥームズデイとの戦いを経て「個人」から大衆を守護する「ヒーロー」となることを自覚するが、これまでヒーローとしての自責の念に悩んでいたアイアンマンは「ヒーロー」であることを放棄してしまう。
 シビルウォーを殴り棒にしてBVSを叩く言説が多いが、ジョーカーにロビンを殺され、ビルを壊されて精神不安定どまんなかにいたバットマンがスーパーマンやワンダーウーマンとの交流でヒーローとしての自分を取り戻す方が、歩み寄ろうとして結局親のトラウマを再発してしまうアイアンマンより観ていて気持ちが良い。
 ただ、ヒーローの解体という部分に関しては、CWのような苛烈さはなく、BVSは中途半端だった。